歴史から学ぶ経営の極意とは、三国志の2大英雄、劉備と曹操の生き方から真のマネジメントを学ぶ
ダイヤモンド社出版、著書、成君憶氏
「人を動かす劉備 合理主義の曹操」
日々頑張っている多くの方々に、人生の意義を見直し、より良いもののきっかけになることを願って、本書の紹介をさせていただきます。
著者紹介:
成君憶 氏という中国の経営コンサルタントの方です。本書の前に中国で出版された水煮三国志は、中国書籍市場で110万部を超える大ベストセラーとなっています。ビジネス書であれば1万部売れればヒットと言われる中、110万部越えはすごい事ですっ!
まず三国志とは、、について、ご存じの方も多いとは思いますが、歴史的背景を紹介します。
三国志は、西暦180年から280年頃までの中国の歴史書になります。当時の中国王朝である後漢末期、皇帝の力はすでになく飾り物となり、天下は乱れていました。皇帝は宦官のいいなりとなり、色欲や金銭欲におぼれ、誠実な官僚は排除され、汚職官僚達の横暴がはびこっていました。上が乱れれば当然下も乱れる。各地の役人たちに至るまで腐敗は広がり、不正や賄賂がはびこるなど、庶民の暮らしはひどくなる一方でした。張角をリーダーにした農民たちの蜂起(黄巾の乱)を機に各地で群雄が割拠し、中国大陸の覇権を争う天下取りの争いが繰り広げられます。物語の終盤では魏(ぎ)、呉(ご)、蜀(しょく)という三国が中国大陸の覇権を争うことになる壮大な三国時代の歴史書になります。
さて皆さん、突然ですが、「三国志」を会社の経営史として捉えた場合、あなたはどの会社(どの人物のもと)で働きたいですか?
著者がおこなったアンケート調査によると、55%の人が曹操の会社を、29%の人が劉備の会社、16%の人が孫権の会社に就職したい、と答え、それ以外の登場人物の会社で働きたいと答えた人はいなかったそうです。
曹操は魏、劉備は蜀、孫権は呉、といずれも天下が3分割された魏、呉、蜀のリーダーになります。
このアンケート結果から見えてくることは、人はやはり「勝てるリーダーについていきたい」、そして「勝てないリーダーにはついていきたくない」、ということを示していると言えます。
曹操とは、三国志の舞台となる後漢末期の群雄割拠の時代において最も傑出した人物であり、天下統一こそ出来なかったものの、漢王朝の丞相となり帝に代わり天下に号令し、晩年には魏という王国を建国し、その王である魏王に昇り詰めた、三国時代を代表する英雄です。
曹操は勝てるリーダー、偉大なCEOの手本とみなされ、ビジネススクールにおいてもマネジメントモデルとして取り上げられることが多く、中国の多くの企業家が曹操に憧れを抱いているようですね。
フィリップ・コトラー、マイケル・ポーターなど欧米式の現代的マネジメントとは、経済学のカテゴリーに軸を置き、経済的利益を最大化することが目的とされています。
現代のビジネス社会は、利益を追求し市場シェアを競い、コストダウンにしのぎを削り、技術力で対決し、、と、武器を手に取り互いに戦い合うことこそしませんが、その内容はまさに過去の歴史上の戦争の延長線上にあるようです。
そのため、三国志に限らず、過去の歴史上の戦争における陰謀、計略から、現代の企業戦略、マネジメントに活かそうという本は数多くあります。
人類の歴史というものは、マネジメントのケースステディそのものである、と言えますからね。
権謀術数、調略を駆使し、人材を管理・活用し、あらゆる手段をもって敵を倒して勝利する、、このような過去の戦いの歴史は、まさに現代マネジメントと相通ずるものがあるようにも思われます。
しかし、戦争での勝利の裏では、戦闘に参加した兵士はもちろん、老若男女にいたる一般人も含め、多くの人命が失われています。戦争による殺戮と荒廃により、焦土とかした大地には累々とした屍が広がる。果たして、このような悲惨な情景を生み出す戦いの中に、本当のマネジメントの知恵があるのでしょうか?
本書では、三国志の中でも最も有名な英雄とされ、かつその生き方が対極的であった、曹操(そうそう)と劉備(りゅうび)のマネジメントを検証し、対比しつつ、真のマネジメントは何か、そして本当の豊かさとは何か、を書き綴った一冊となっております。
漁夫のマネジメントと庭師のマネジメント
筆者は著書の中で、マネジメントのスタイルを、漁夫のマネジメントと庭師のマネジメントの2つに大別しています。
漁夫のマネジメントとは、名誉や財産という物質的な富に「釣果」を追い求めるものです。この漁夫の数が増え、漁夫の文化が進化することで、それは海賊のマネジメントとなり、財産の獲得(強奪)と占有による、自己の利益の最大化を目的化する、としています。
経済社会という海洋に、商業的目的を持って現れた漁夫は、その人生のほとんどを、より多くの金銭と商業的利益、名誉を獲得することに費やします。そして、彼らはその組織内での地位によって二つのタイプに分けられます。
第一の漁夫は、社長と呼ばれ、大きさは様々ですが自分の船(会社)を持っています。第二の漁夫は、それらの船の上で働く船員(会社員)に当てはまります。彼らは自分の船を持たないため、誰か(社長)の船にのって働く必要があります。そして会社という名の漁船では、通常、社長と社員の間、また社員同士の間で明確な役割分担があり、相互の協力を必要とします。
こうして、同じ会社という名の漁船に多くの漁夫が相乗りすることで、互いに助け合い、運命を共にする共同体であるという、集団文化が構築されます。
ですが、船に乗っているのは、いずれも漁夫であるため、自己の利益の追及が第一義になります。そのため、漁夫にとっての集団とは、実は相互に利用する関係にしかすぎず、自己の利益追求のために利用できる道具としかみなされません。
社長は社員を利用し、社員もまた同僚や会社を利用する。時には足の引っ張り合いも起こります。表面的には企業は一つの集団に見えますが、実際は自己の利益が優先されるため、社員の会社や社長に対する忠誠心も見せかけのものにすぎなくなります。
著者は、曹操を初め、多くの人物が漁夫のマネジメントを行っているとしています。彼らはみな、社会的地位や物質的な富に人生の活路を見出すことが出来る、と考えていました。
本書の前半では、曹操がどのように群雄割拠から抜きん出て漢王朝の丞相にまで昇りつめたのか、また有名な赤壁の戦いにおいて、圧倒的な勢力差があったにもかかわらず、どうしてあのような大敗をしてしまったのか、についての真の理由を、漁夫のマネジメントによる解釈から説明をしています。
曹操は、人臣を極め、多くの財を成し、部下には多くの優秀な人物が数多くいましたが、尽きることのない欲望と、利用し合う関係でしかないことからくる、部下との猜疑心にさいなまれ続け、人生の意義を見出すことなくこの世を去ってしまったそうです。
史書によると、彼の晩年は、頭痛にさいなまれ、神経衰弱、焦燥感、恐怖と不安、ヒステリーなどの症状がみられ、非常に深刻なうつ病を患っていたと考えられます。
これが、三国志の歴史でもっとも有名な英雄の一人の末路だと思うと、考えさせられるものがありますよね。
そして、後半では、曹操と対極の生き方をしてきた劉備の生涯について、話が展開されていきます。
劉備は漢の皇帝(中山靖王劉勝)の血を引く皇族の血統、と言われていますが、当時は同様に皇族の血統を持つ人物はかなり多く存在し、この威光だけで人が集まったわけではないように思われます。むしろ劉備は早くにして父を亡くし、母親とともにワラジを編み、道端で売る貧民の出身でした。一方の曹操は祖父、父ともに官僚集団のトップや、高級官僚を歴任していたりと、いわゆるエリート階級です。
三国時代の群雄は、袁紹、曹操、劉表、董卓、孫堅など官僚出身や名家貴族の出身が多く、天下を争うための力を備えていました。対する劉備は、先ほどの通り、路地でワラジを売って生計を立てていた庶民でした。しかし、そんな劉備が、天下の三分の一の地盤を有し、曹操と対抗する力を持てるまでになったのです。
そんな劉備の下には、義兄弟のちぎりをかわした関羽、張飛を始め、趙雲、孔明、など数多くの優れた人物が集まりました。しかも彼らの劉備への忠誠心は非常に高いものでした。
例えば、義兄弟の契りをかわした関羽ですが、徐州での曹操との戦いに惨敗した際に、劉備の家族とともに曹操の捕虜となってしまいます。(劉備は一人袁紹のもとへ逃げ延びていました)。
関羽という人物に惚れ込んでいた曹操は、大邸宅、美女、金銀財宝、はては天下の名馬である赤兎馬を贈り、これ以上ないまでの高待遇を与えました。果ては帝に上奏して、漢寿亭候に封じています。これは関羽が一将軍から貴族になった事を意味します。これだけの超VIP級の扱いを受けていた関羽ですが、袁紹との戦いで、敵の大将を打ち取り勝利に導いたことで恩を返すと、贈られた財宝は大邸宅に封印し、劉備の家族を守りながら単騎で主君を探し求める、生死を顧みない千里の道を選ぶのです。
また三国時代の大軍師である諸葛亮孔明も、すでに曹操が漢の丞相となり天下の形勢が決まりつつある状態にもかかわらず、自分の領土ももたず、兵力にも乏しい劉備を主君として選んでいます。そして劉備亡き後の孔明は、生きてる限り国に忠勤を尽くしました。劉備が死してなお、非常に高い忠誠心をもっていたことが伺えます。
このように貧民出身の劉備が、何故天下の三分の一を獲得するまでに至れたのか、ということについて、著者は、数々のエピソードを解釈しながら、曹操の時の漁夫のマネジメントと相対する、庭師のマネジメントによるものだ、と説明しています。
本書では、著者の講演録や録音資料をまとめ中国で出版された「管理三国志」を翻訳したものです。著者は、中国人のいにしえの孔子や老子を始めとする中国思想家の教えに立ち返り、真のマネジメントとは、そして真の豊かさとは何なのか、ということ事を、三国志のエピソードを交えて訴えています。
現代社会において生きている多くの人たち、企業の創業者、投資家、成果をもとめ奮闘するビジネスパーソン、就職活動中の学生や芸術関係の仕事を生業とする人、あるいは愛を求める人など、、みな、何かを懸命に追い求め、時には大きなチャンスに遭遇し、見事成果をモノにして満足感に浸る事もあるかもしれません。
しかし、人間の欲望が完全に満たされることはありません。満足感は薄れ、再び欲望が頭をもたげてくると、次に満足できるレベルまで引き続き追い求めるしかなくなってしまいます。
自分の頑張りを振り返った時、むなしさや虚ろさが心に去来し、自分自身を見失うことがあると思います。
深い迷いの中にいるような、そんな方々に是非とも一読して頂きたい内容の本となっております。
そして、人生の意義を見直すきっかけになれば幸いです。